アンインストール

皆様は、現在生きている世界をどう認識していますか?

私が単純にこの世界の仕組みを思うのは、ひとつの例えとして、まず率直に一つの大きなボールのような枠組みがあって、そこの内側に薄いエネルギー体のような物質が何層かに分かれて存在する。たぶん世界線の数だけある。そして、そこの中に一枚塗布されている。それがシステムである。この世界の意識層のような箇所を司っている。

その世界のベースとなる意識層。謂わばメインシステム。OS(オペレーションシステム)のようなものです。このOSにより、世界のルールや未来の方向性なども常にバージョンアップなども行われているが、中に存在を置く意識の個々の人間には、気がつく由も無い。故にその外側へ飛び出す者は少ない。

—— この文章は、先日の「熊の警告」の続きとして書いたものです。もとは一つの同じ文章だったんですが、あまり関連性を感じなかったのもあり、こうして分離したまま迷子になっていたのである程度の編集を加えて、今回は雑多なままにここに掲載します。そのまた次回あたりになにかひとつくらいまとまった話になるといいなと思っています。どこにも行くあてのない文章です。暇つぶしにどうぞ。 ——

現在、AIやロボット工学をはじめ、我々現代の文明は、一見、ピークに到達したような歓喜が社会に感じます。しかし、それもどうなのでしょう。戦後の復興からあのアニメのオープニング「鉄腕アトム」は現在でもひとつの文化的遺産のシンボルです。鉄腕アトムやドラえもんが現れるはずの時代を既に超えてしまっている我々ですが、たぶんもう少しでロボットとしてなら世に出てくる頃でしょう。しかしアンドロイド的な個性と意識を兼ね備えた存在としてのロボットは、まだまだ世に出すには、いくつもの壁を乗り越えなければならないことでしょう。

発展だけを夢見たあの頃、人の欲求はいつしか形を得て商品化します。皆が見た未来がいまここにある。自分たちが作ったということに全く気がつかぬまま、政治と経済にただ文句を言い、自分が欲しいままに物を消費しては、廃棄する。その尻拭いでさえ次世代に先送りする。あの頃の人たちが夢見ていた未来は、現在にどれだけ叶っているでしょうか?今、その頃から見た未来に生きて、どうでしょう?我々はそんな夢を見ていたのでしょうか?ただそんな世界でよかったのでしょうか?

しかし、どうやってもこれが我々が夢見た世界といい得てしまうのです。想像や想いは時間をかけて具現化します。しかし、きっと「こんな未来になるとは思わなかった。」と感じることのほうが多いとおもうのです。だけど、たとえば居酒屋で仕事帰りに飲酒して、さあそんな思考の奥へと考えたりするかと言えば、そんなつまらない話題じゃ酒が不味くなること間違いなしですし、現代日本ではあまり内省や思想の議論など哲学的思考が根付いていない、どこか根無し草的に自分で感じ考えることに対してオープンではありません。

ひとつに『想像力の欠如』とも言えるのではないでしょうか?敗戦後70年、50年、30年と時間をかけて、現在に至る。つまりは、50年前の日本人達が想像した未来が、まさに現在の現実を創造したのです。想像力とは実はそういうものなのです。この世界では実現や出現までに努力や時間がかかるものですが、その結果は、必ず形となって現れます。そこに「責任はない」とは、本当は誰も言えないものだと思います。

そんな敗戦後の時代に、特に社会を支配してきたシステムは「経済」だと言えます。昨今では子供の世界にまで、保険や株式や金融や不動産などの項目が教育の現場にも入ってきました。学校教育の中にも「投資」などの授業も増えてきて、知人の士業の方々なども積極的に幼稚園児への租税教育などに力を入れていましたが、この現象には私は大変驚きました。社会批判や意見的な内容は長くなるでしょうから面倒臭いので結論を言うと、人類が現在の資本主義の形を続ける限り、きっと崩壊は避けられません。

目次

生まれながらにして「競争」「格差」「分断」を目標に生きて行く世界

話は逸れてしまいますが、ただ、私がどうして、何に、驚いたのかは、どうか聞いてください。人間に魂があったり、パソコンにOSがあるように、この世界の仕組みを形作っているシステムがあります。それがこの現在の地球では「経済」なんです。すべての存在に値段が付いていて、その価格は常に変動します。なので、その価格をつり上げるか、もしくは多くを売却できたかによって、利益となり、それによってまたその存在は価格を上げます。と、そんな説明ではなくて。

私が言いたいのは、そのシステムとは、この世界の現実も、パソコンのOSなどと同じように、書き換えることが可能で、何よりもそれらはmac、Winddows、Googleを選ぶようにシステム自体を「選択」することができるものなのです。望むならそれは新規に「創造」することも可能です。

しかし、そんなことにこれっぽっちも興味のない人々の方が多いことでしょう。それよりも「株価」が気になって、そんなことにかまっている暇もないことでしょう。また地球の裏側ではミサイルが降り注いでそれを避けるのに大騒ぎしている中、でも日本では新NISAができたから投資しようなんてこれまた大騒ぎ。

どれも現在の世界にどっぷり浸ってしまっている大多数です。国が推す投資だなんて「お金集めてどうするんだろう?」とか「集めるだけ集めて破綻すれば国の丸儲け」だとか、勘ぐっちゃいます。

そんなこの世界において、私が何が驚いたのかと言うと、幼稚園児への租税教育ですと?他にも、最近、子供の校外学習や遠足で行うようですが、子供の銀行の体験教育や、狭い選択肢の仕事体験なども同様です。幼い児童の選択肢を狭くしたいのでしょうか?また、もう少し年長の二十代あたりを見れば、起業家が素晴らしくて、誰もやっていないことをゼロから成功に導くっていうケースが自由の具現化だったり人生の成功例として、結局みんな同じ方向を向いた未成熟なイノベーションの集まりのような、そんな事業が流行っています。

生まれながらにして「競争」「格差」「分断」を目標に生きて行く世界を、幼稚園児から学生起業家におけるまでを。その世界で踊らせて、知らぬ間に搾取し続けているシステム。

この世界は幸せですか?

世界の大人達へ訊ねたい「この世界は幸せですか?」と。

貧富の差は今日を生き抜くことさえ危ぶまれる人々を、見る見るうちに増やしています。美しい海はお金持ちの物ですか?あの神々しいほどの山々も空も大地もゲームの勝者の物でしょうか?この世界や社会は一枚の大きなボードゲームのようなものでしょうか?

あなたもひとつの駒ならば、では、そのゲームにはいつから参加してしまったのですか?持てる者と持たぬ者、それがまるで、生まれた時から決まっていたりしていることに気がつきませんか?自分は誰のものでしょう?この世界を所有しているのは、いったい誰となるのでしょう。つまり言いたいのは、『いったいこのシステムをこの世界に導入したのはどこの誰なんだ』ということなんです。

まだなににも染められていない真っ白な子供のベース基盤に、どうしてそんな不完全なシステムをインストールし続けているのか?実は、考えたら少し恐くなった場面がありました。それは、もう随分と前の頃になるのですが、知人の税理士事務所から子供向けに租税教育を行うということで、ほんの少しですがサポートをしたことがあるのですが、結果は大好評だったらしく、それはそれでよかったのですが、知人のアクションは早かったのですね。それから徐々に日本中に増えて行きました。

社会性の強いお母さん達は、世間で良いと奨められるコンテンツを追いかけてばかりで、コンテンツ内に子供を型取りするかのように当てはめようと毎日頑張ります。社会性の強さはそのまま世間体へ繋がり、子供達は幼い頃から世間体の見本に当てはめて、競わされるかのようです。その基準も目標も全て、いつのまにか誰かが作り出したゲームのシステムなだけなんですけどね。そうです。言いたいのはここです。

未来に生きる子供たちに言いたいのは、『この世界のシステムは、何を選ぼうが自由なんだよ。』                                                                           ということなんです。書き換えも自由ですし、一から作り上げていくのも可能です。考えなくなってしまった大人たちのいう通りに、何も君までが、大多数がプレイするマネーゲームやウォーゲームに参加しなくていいのです。

『この世界のシステムは書き換えられるのです。』じゃあどうやって?『参加しない』のただひとつです。だけど「不参加」というのは、たぶん戦後の日本人の最も苦手なことではないでしょうか。いつまでたってもどうしても大多数に添ってしまったり、みんな『同じ』という足枷は、未だに解くことのできないつまりは、未来を創造するのです。それができるのは人間だけです。そう考えると、いま現在を作ったのは昨日までの日本人なんです。

現実は、国民全員が未来の創造に携われているのかどうかは、なんとも言えません。そうではないのではないかと思える出来事が多い気もします。大多数はプレイヤーで、実は少数のゲームオーナーたちが都合の良いように世界を操っているのかもしれないとも思えますし、だけど、それがよいことだとも、悪いことだとも限りません。

生まれながらにしてお金をどれだけ稼げるかゲーム

いや、すみません。『私がなにに驚いたのか?』という話でしたね。
このシステムの中に今はいるので、完全には上手く言い切れはしませんが、なぜいつまでもそんな不公平な世界を描いたシステムを使い続けるのか?私は、自分の子供にはこのシステムをインストールする気はありません。しかし、子供の租税教育が盛んだということは、例えるなら、例えば、人類全員にそのOSのインストールが完了したということだとしたら、そこで生きる大人達は、もう誰もが『自分があるひとつのOSを取り入れている』ということを忘れ、気がつきもしないところまできたんだなぁって、感じたのです。

そう感じて、本当に私は驚きました。そしてゾッとしました。恐ろしくもなりましたし、悲しくもなりました。いまの世界はなんとなくですが「既に、子孫を残すことを放棄している」または「子孫を残すことに興味がない」のではないかとも感じるのです。

もっとわかりやすく言うならばこうです。—— 目が覚めたら自分以外の誰もがとある思想に思考を乗っ取られてしまっていた。誰もが『お金』が生まれながらにして、この地球の創生と同時にあったかのように、脳自体に書き込まれてしまっていました。誰と話しても、『お金を稼ぐために労働するのは当たり前』『貧富の差があるのは当たり前』『経済的発展のみが成果である』『教育とはより豊かに富を生める人材を育てるためにある』そのように、システムに従順に応じ枠からはみ出さない人材育成目的のために、娯楽や美食などの適度な快楽と報酬を与えて、自分が作られた世界の中にいることに気がつかないように生かし続ける。

そうです。これはたとえ話ですが、『ああ、もう遅いんだな』と感じてしまったんです。『ああ、ついに全員に行き渡ったのか』と、思いました。じゃあ、どのようにインストールされてしまったのかといえば、それは『ゾンビ』と同じだと思っています。その大元は『ウイルス』です。『それは教育の教科書の中に』『それは国家の法律の中に』『それはテレビのニュースの中に』『それは世間の流行や噂の中に』『それは乳児の予防接種の中に』『それはそんなウイルス予防の為のワクチンの中に』などなど、そのようにして、知らない間に、本人の意思とは無関係に、インストールされてしまいます。

『ああ、もう遅いんだな』そう感じたのは、もう親世代となる世代が、そのような教育しか知らない人たちになってしまった為に、もう、覆すのはほぼ無理になった気がしました。みんな信じきっているんです。『生まれながらにしてお金をどれだけ稼げるかゲーム』の中で比べ合い競い合い騙し合い奪い合い、最後には殺しあうまでをもする世界が、まるで全世界で、この宇宙の法だと、信じ切ってしまっている以前に、そんなことを考えたこともない。考える必要性を感じたこともないのです。そんなベースの上には、何を言ったってわかっちゃもらえませんよね。

『本質』を受け継がずに、形ばかりをただ伝承してしまった

最近、イノベーションだとかで地域再生や文化継承だとかまじめにやっているが、その者たちの呼んでいる『文化』というものも、たった200年程度の話で、わりと近年に文化価値ごと消費してしまい、その価値や意味を失ったものばかりなきがします。江戸時代までは全く違っていた本当の日本の「文化」は、その意味や『本質』を受け継がずに、形ばかりをただ伝承してしまったために、その次世代にはほぼほとんどの風習や文化の中身は失った、それが現代だと思えます。

いまさら蘇ることはほぼ無理でしょう。かつての神事を、その本質を忘れてしまって、その理由も意味もわからぬまま、形だけのフェスやイベントを興しても、村おこしの「祭り」だけど、そこに神も意味も感じない。一度失ったらもう戻らないのですよね。自分の住む土地の神様や歴史も知らなくてもいいけど「株価」や「楽しめるイベント」なんかの情報のほうが大切。そんな感じのどこがイノベーションなのでしょう。

それでもそんな世界の中にいても、人間は想像力を発揮できます。ほんの少し、たった1ミリメートルだけでも、地味に変わっていつか大きくうねりとなって世界を作り出すことが、人間にはできるのですから。

たとえば、この世界の在り方をひっくり返したように変えてしまうことだってできるんです。現在の基準が「経済」「資本主義」だとして、それを基準が『紅茶の香り』にして『芳香主義』な世界で、皆がよりいい香りを高め合い作り出していくだとか、そうですね、もうあれしかないですよね。『愛』の度数によって、その高みを目指す世界ね。

世界を自由に創造する能力

理想論ではあるかもしれませんが、「愛情」の成長レベルとは、そのまま『叡智』と比例して、知能レベルの度合いとして表れます。つまりエデンも可能かもしれないということです。

我々には本当は世界を自由に創造する能力が与えられているのです。時間はかかっても、複数人で力を合わせても、または、地球の全人類が平和を創造することさえも、我々には出来るのです。

ともかく、現在のシステムはアンインストールしたほうが良いと感じます。そして、インストールし直すのなら、どんな世界にするでしょうか?

しかし、どうなのでしょう?ここがエデンであるならば、地球が在る意味がなくなってしまうのかもしれません。この地球とはなんなのか?明暗の如く分断された光と闇とが共存しているからこそ、そこで学び成長する機会を得られる。そのための惑星だということも考えられる。

それでも予定や期限などはあるのがこの宇宙だと思う。だとすれば、愛だとか善悪だとかと今更進めたところで、あと数年の時効かもしれない。

そう、もうカウントダウンは既に始まっている。

さあ、それでもあなたは未来を描きますか?

20251027


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