熊によるメッセージを見逃すな!

『◯◯が熊に襲われて…』と、報道していたのを目にして、どうしても書きたくなった内容が浮かんでしまって、書きたいというより「伝えたい」と思うことなので、書きなぐりの乱雑な文体ですが、お読みいただけたなら幸いです。

猫でも犬でもなくて、熊のニュースを最近頻繁に見るようになった気がする。熊だけじゃない、猿や猪も街や里に現れる。また、様々な外来種の動物、アライグマやハクビシンなども畑の作物を荒らしたり、家庭の庭や屋根裏に棲み着いてしまうものもいる。その代わりに、一昔前まで、普通に街を歩いていた犬や猫の姿はどんどんいなくなった。

明らかに『なにかがおかしい』そうは思わないだろうか?いま、これを書いているのが2025年10月末。まず、とても簡単に、目の前の現実に気がついてほしい。『どうして山の動物が里へ来るのか?』そうです。山に食料がなくなってしまったからです。それに、食料だけでなく住処である山林も減少してしまいました。そうなんです。そりゃあ、熊だって、猿だって、里に降りてきてもおかしくないでしょう。

その山林などの自然を野生動物から奪ったのは、まさに人間です。奪うだけならまだ救いはありますが、土地開発や太陽光パネルの設置などを目的に自然は破壊され、動物の住処はどんどん侵食されてしまった結果が今になって表れてきたように思われます。

獣だけではありません。自然が住めなくなっているのですから、その他の小動物、鳥類、虫類、菌類、凡ゆる草木、植物も同じです。人間は都合が良ければ、自然保護だ動物園だ枯山水だとかって、自然や野生生物を尊んでおきながら、都合が悪ければ、土地開発だ害獣だ害虫だばい菌だって、忌み嫌い排除しようとする。

そこでなにを言いたいのかというと、私が思うのは、言わば『反省してほしい』のです。人類のひとりとして、そんな熊のニュースを見て、「あれ?なんかこれまでと違うぞ?」と、何かに気がつく。「熊が怖いねー」とか「猟銃で駆除だ!」とか「熊食ったことある?」だとか、そんなじゃなくてね。『反省してほしい』んです。全人類に。

私の感じることですけどね。『熊は国内の動物の中ではきっと一番強い、謂わば“王”です。王様が自ら出向かれることってまずないんです。その異例なことが多発している。このメッセージが人間にわかりますか?気がついてもらわないと大変なことになる気がします。熊ですよ。猿でも猪でもなくて、熊なんです。これは最終警告だと感じます。』

熊が里におりてきて人を襲ったのも、愛玩動物達が野生化して危険な動物になってしまったりするのも、すべて、人間のせいなんです。つまりは『自分たちのせい』ということです。遠い場所でおこった熊出没のニュースも、自分も無関係ではないということです。

誰のものでもないはずの山や土地を、いつのまにか所有したり、売買したりしている。皆さんもそうではありませんか。知らないうちに気がついたら土地も家屋も値札が付いてた。人間はいったいいつからそうなったのでしょう、殆どの人間が知らない間に、土地を仕切り、その土地の所有者がいて、値札が付いていた。おかしな話です。そして、そこに住んでいた動物達のことなど一切、考えもしていない。とても残念な行為に感じます。

ひとつに『想像力の欠如』とも言えるのではないでしょうか?70年、50年と時間をかけて、現在に至る。つまりは、50年前の日本人達が想像した未来が、まさに現在の現実を創造したのです。想像力とは実はそういうものなのです。この世界では実現や出現までに努力や時間がかかるものですが、その結果は、必ず形となって現れます。そこに「責任はない」とは、本当は誰も言えやしないものだと思います。

全国で目撃情報が増え、熊に襲われた報告もどんどん増加して、命を落としたケースも報告されています。こういったニュースを私個人がどう感じているのかという話です。

もう一度言います。それは「警告」だと感じています。それも、今回は「最終警告」のように感じるんです。熊という動物を象徴にした、動物界及び自然界、つまり『万物』からの警告のメッセージです。

万物から試されているようなものです。「熊が行ったぞ。さぁ。どうする人間達よ。」まるでそのように、我々はこの事態に対して、どうするのか?何を選ぶのか?同じ地球の地表でともに生きる生命として、人間はどうでるのか?「銃で殺すのか?」はたまた「殺さずにいかにして切り抜けられるか?」。人間として『共生』という大きなテーマを見直せる好機だと言えます。

それと同じような感覚で、熊のニュースを見て他に思うのは、『あぁ、世も末なんだなぁ』って。あの映画『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』のシーンそのもののように、なにも熊や猪や王蟲が大群になって襲ってきたわけではないのですが、『森の神がお怒りになっている』そうお気づきになった方はいませんか。そうです。私が感じるのは、熊がどうのではなくて、これはやはり自然界からの、つまりは地球、ガイア、万物からの『警告』なのではないかと思うのです。

この警告で気がつかない時や、熊をただ銃で殺す行為を選んでしまった場合はどうなるのかと想像すれば、次は熊の大群が押し寄せてくることはないと思いますが、地震が起きて山が崩れるとか川の氾濫だとか、森が無くなっていくだとか、そういった災害や事故という結果になって、少し先の未来に創造されてしまうかもしれません。『熊』はそういった言わばシグナルなのかもしれません。

熊だけの話ではありません。犬や猫が増えたからといって殺処分。猫は捕まえて強制的に去勢。山の獣達や鳥を猟銃で撃ち殺して、それを害獣と呼び「駆除」される。鶏や豚を大量に飼育し殺したあげく食料を余らせてゴミとして捨てる。農薬や除草剤で草木や微生物達の命を汚しないがしろにしたあげく、地球の土壌を傷め続ける。昨今では宇宙にまでゴミをばらまく。そしてなによりも「原子力」の使い方を誤っている。など、数え上げたらキリがない。

万物が人間の可能性に警告を与えている。宇宙は決して裁かない。気づきの機会を絶え間なく与えるだけ。裁かれるのも落ちてゆくのも全ては自分次第。熊は『最終警告』なんです。

20251027


コメント

コメント一覧 (2件)

  • はじめまして、私は10年以上前に読んだ光の中へと言う本から地球の終わりは 近いのかもしれないと考えていました。 いろいろな地球上の出来事があるたびにもしかして?と、、最近は熊が里に降 りて来て、駆除されたり、辛いシーンを見ない日はありません。 やはりそろそろ文明は終わりを迎えるのでしょうか?

    • カレンさま

      この度はお便りをありがとう存じます。私はピコペタの運営者です。まだ作りかけのサイトなのに、ご縁あってご覧いただけたことに喜びと感謝が溢れます。

      「終わりが近い」同感です。私も幼い頃から、そんな感覚があります。でも「終わり」と言えども「終わる」ことに意義があるのなら、「終わる」からこそ、そこに合わせ生まれてきた我々がいることも、貴重な巡り会いであり、たぶん「終わり」だからこそできることがあるのでしょう。

      「文明」これ最近思いを巡らせています。「文明」とはなにか?「猿人たちの夕食の火」を我々は文明とは呼ばないように、我々の技術力や創造性は「文明」に適っているのだろうか?太極や宇宙の歴史上から見た時に、もしかしたら「文明」と呼ぶには、まだまだまだまだ届いていなかったなら?核で破壊し汚染して、同族同士が殺し合い奪い合う、これを「文明」と呼べるだろうか?

      長くなってしまいました。大変恐縮です。

      この度は、本当にありがとう存じます。
      またよかったらお声掛けてください。お返事が大変遅れてしまい、失礼いたしました。
      ごきげんよう。では、また^^

      ピコペタ

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