
「ペーパーレス時代」その言葉を耳にするようになって、既に10年以上があっと言う間に過ぎた。
きっと裏舞台の計画から言えば、10年どころではなく、20年~30年があっという間に経ったことだろう。
「PDF」も末端の一般ユーザーまでも行き渡り、電子書籍媒体からiPadやiPhoneを代表とするポータブルメディア、スマートフォンだけでなく、携帯電話でもインターネットや個人ブログから、あらゆる書籍の電子化は、完全な浸透までは至らずとも、時世としては不動の方向性となった。
「PDF」portable document format
その名の通りの開発であり、それは大成功したのだと思う。
しかし、想像ではあるが、もっとも想定していた分野には、未だその浸透性は皆無に近い気がする。
あくまでも個人的感覚だが、その「成功」と「矛盾」に、とても似ている現実がある。それは「エコロジー」と呼ばれる「環境問題」や「ゴミ問題」だ。
「エコロジー」の意味する範囲は、ゴミ問題やCO2削減スローガンとして、政策から民間へ認知されているが、もっともっと、広い視野の概念であるとはしても、代表する「大成功」とするならば、やはり、「環境保護」と「ゴミの削減」であった。
ゴミの分別も各地方によって様々なルールが存在するが、日本は世界有数のエコ大国でもある。
しかし、それはルールの中での数値に過ぎず、現実は、エコという言葉を政治が使用しはじめ、様々な企画イベントを国民にルールとして広めてから、結果、その本分は、もしかすると、まったく進んでいないという感覚が私の中にはある。
「節電」「省エネ」「ゴミの分別」「リサイクル」「エコポイント」「地デジ化」「ハイブリッドカー」「新エネルギーの再考」など様々な表層の企画が、成功をおさめている。
しかし、それらの軸であるゴミは一向に減らない。むしろ、増えている感すらある。
環境保護に対する「ゴミ問題対策」としてはじまった、様々なエコ方針の起点は、「ゴミ削減」であったはずだ。しかし、結果的に消費を煽り、そして生産を加速させる要因になった。
国民の意識の浸透と、経済のサイクルに対しては、大成功であるが、「リサイクル」の方針とは、本来は「過度な生産を抑え、ゴミを減らす」目的であったと思うが、結果的にペットボトルをリサイクルすることによって、ペットボトルが増えてしまうような「矛盾」を生んだ。
屁理屈をそれにあてるなら、結果的にゴミが増えたとなってしまう。
しかし、数値上は、ゴミは減っている。つまりは、末端の消費者が捨てた「ゴミ」は、分別していれば、その時点で「ゴミ」では無くなり、「資源」という名の扱いになるのだろう。
今日の主題は、ゴミ問題についてでは無いのだが、個人的に、とてもなにかが似ている現象だと感じ、少し書かせていただきました。
「PDF」その本当の起点は、発案者でなければ解る由もないことだが、世間で言われていた価値としては、大きく二つだろう。
「あらゆるソフトで作成された電子ファイルは、それぞれの環境に左右されてしまうこと。」代表的には、Aのパソコンで表示されている書体・言語・レイアウトは、Bのパソコンで見るとまったく違うものに変更されてしまうなどの点を、すべての環境で同じ書類を見ることができるようになった。
もうひとつは、「世界中に溢れる、誰も見ない膨大な保存書類を電子化すれば、総合的なコスト削減になること。」
ここで言える「コスト」とは、あらゆるものが言えるだろう。倉庫管理費、用紙代、印刷代、文具代、、、、石油を代表とする資源なども含む「空間」。そして、人件費を代表とする「時間」などと言えるだろう。
今後、どこまでその起源である想像と想定が、実現するかは、未知である。
日本国内の特に都心部での現象ではあるが、昨今は不動産を住居や店舗として使用するのではなく、トランクルームなどの「倉庫」や、レンタルオフィスなどのシェア空間として利用することが多くなった。
地価と需要のアンバランスが原因ではあるのは確かだが、想像すると、少し恐怖感に似た、不思議な感覚を覚えた。密集し隣接する日本の都市部の高層ビルなどが、気がつけば、人間ではなく「物」が埋め尽くしているということだ。
そこに存在する「物質」には、本当にそれほどに保存しなければならない価値があるのだろうか?
ゴーストタウンと呼ばれる現象とは異なり、都心部全体が「倉庫」なのだ。
それぞれの価値ある物がそこにはあるのだろう。企業の書類はもちろんのこと。個人で言えば、一年に数時間だけ使用するかしないかのようなバーベキューセットや、思い出の詰まったアルバムのような品々…。人によっては、遺影なども、そこには在るかもしれない。
たまにそこを訪れては、様々な想いに耽るのだろう…。まるで、お盆のお墓参りだ。皮肉のような書き方ではあるが、私は、そう感じた。
ふと外を見て、そんなことを思いながら、新宿副都心のビル群が、大きな墓石に見えた。
人間は、最終的には、自然の多い環境に家を建て、老後はそこでゆっくり暮らしたいなど、そういうことをよく耳にする。
皆がそれを叶えたのなら、都市部はいつか、大きな大きな「物質の眠る墓地」となる。。。などと、どうしようもないことを言いたくもなってしまう…。
しかし、そんなに、人間は馬鹿じゃない。そう思う。名付けるのなら「時の眠る街」などだろうか?
今回の表題「the Paper Planet」。印刷物や書籍、つまりは電子書籍化によって「紙」が消える!…と、言われ始めて、もう10年以上。
一向に減らない。
調査はする気もないが、勝手な私個人の想定にて、考えてみた。
この世で最も多い「紙」はなんだろう?と…。
第五位は、おそらく歴史的ベストセラー「聖書」という「紙」であると思った。
第四位は、毎日発行される「新聞」嘘も真もどんなこともここに記すと事実のようになる「紙」。
第三位は、人類にとって未だにこの「紙」を越える発明はない「トイレットペーパー」は、『消費』という意味では圧倒的に一位だろう。
第二位は、この星で暮らす為の人生ゲームの参加権「紙幣」という「紙」だろう。
そして、第一位は、おそらく…「法的書類などを含む大きな枠での契約書類」という「紙」だと思う——。
—— そこに記されているのは、「誰が何を所有していて、誰がどこまでを管理していて、ここからここまでが誰の物で、これは違反で、ここまでは許されて、誰が誰と何をして、誰が誰を…管理していて…誰が、何が…誰を所有していて…」
そんなことが延々と書き綴られた「書類」そこに誰かのサインや捺印がされている。
そしてまた、それら書類やそれを扱う人、それを保存するための空間や期間を管理する為にも、そしてそれらを破棄する場合にも必要なのが、そんな法規などという「紙」である。
そんな書類が、この惑星の上にある。
私が他の惑星からの調査員で、この星を見たのなら。
この星は、そんな代表的な五種類の「紙の惑星」と、報告するかもしれない。
20110829 7:58

