「列からはみだしてしまう者の讃歌」

その一番幼い思い出は 幼稚園のグランドでの園児全員の整列
園長先生か誰かの長いお話の最中で わたしは大きな声で名前を呼ばれた

「はみだしてはいけません」

とても驚き とても恥ずかしく 大人になったいまでも覚えている
その時の自分の立つ位置からは当然見えないはずの全園児や
園内の隅の雑草やたんぽぽまでもが景色として脳裏に残っている

よく晴れた日だった

小学校にあがっても その後も遠足などで なんども注意されたこと

「はみだしてはいけません」

その後の人生 確かにわたしはそうだったかもしれない

ひとりで歩けば問題は無い
自分で歩いて行けば もう そのようなことはなかった

ただ 大きくなればなるほど 不思議に思うことがあった
ひとつの行き先やひとつの根源に対して
この社会はほとんど 二つの列があったこと

その最後尾の人に尋ねても どちらの列の人も同じことを言う

「こっちは正義の民の列だ」

やさしい人も そうでない人も
考える人も そうでない人も
ほとんどの人は どちらかの列にならんでは
歓声を上げたり もう一方の列を見下したり

「はみだしてはいけません」

そこでも自分は どちらでもなく はみださない道をひとり歩いていた

双方の列から たまに聞こえてくる 「はみだしてはいけません」

そもそも列もないのだから 自分ははみだしてなどいない
しかし その人たちからは だいぶはみだして見えるようだ

そうして歩くうちに 列の先頭の人に会えた

どうしてこんなに列を作っているのかと訊ねると
「あいつらははみだしているんだ だからこっちの列に誘っているんだ」
と 教えてくれた

もう一方の列の先頭の人にも聞くと やはり同じ答えが返ってきた

その先頭には どちらも正義の旗を掲げていた
旗が風になびくのが少しかっこよかったので 自分も旗を持って歩いてみた

自分だけの考えを巡らせながら ひとり空を見ては 風を肌に感じて

気ままにも見える道だが 自分の中にはきっちりとした 軸のようなものだけはあった気がする

ふと後ろの方が騒がしく 振り向いてみると 驚いた
ひとりで歩いていたとばかりに思っていたら 自分の後ろに列ができていたのだ

その列の人たちは言った

「わたしもあなたと同じ考えだ」 「そうだそうだ」
「あなたは勇気を出して すばらしいことをやったな」 「そうだそうだ」
「他の列のやつらは間違いだ こっちが正義なんだ」 「そうだそうだ」
「あいつらははみだしものだ」 「そうだそうだ」

さすがに驚いて 見なかったことにしようとも思ったが
ふと考えると すこし思う事があった

あの双方の正義の列の先頭の人も
きっと最初はただ 誰の考えでも 誰の言葉でもない
自分だけの思う道を歩いていたに違いない

そうか

この世には 正義があれば悪があり それが旗を掲げれば 列ができて
悪を必要とする正義がある

どんなにすばらしい考えも言葉も 列ができれば 群衆となり

ひとりの思いや考えこそ 正義であると言えようとも
列になれば その向こうは敵になり 正義の旗も 敵から見ればおなじこと

そこには正義の列 どちらから見ても敵の列

そうだそうだと 賛同する
敵を罵り軽んじる 群衆

たしかにどちらかが正しいことを言っている場合もあるのだが
正義を唱えているのに その声は荒々しく
その視野は 敵と同じに狭く感じてしまう人もいた

または 結局その人も 列の教えに盲目に従順なだけなのかもしれない

それはもったいない それはすこしかなしいと思った

どんなに正義の旗だとしても それでは正義の斧になる

果敢に旗を振り回して ここだここだとはためかせれば
斧は 知らぬ間に 何かを傷つけ 鈍くえぐれた 致命傷すら与えてしまうものだ

どんなに立派な考えだとしても それでは敵と同じこと

あの双方の列の先頭の人も はじめはこうではなかったのだろう
そう思いながら

旗をたたんで またひとりで歩いていく

それからも歩いてると 勝手に列を作る者もいたが
そういう者たちは ひどく鈍感な上に ひどく傷みに弱い
大袈裟に有り難がり 曖昧に悲観して
あげくには 人に背負い 支えてくれなければ 責めるようになる

そういう者たちは 大抵は 風が変わればなびくものだ

ひとりで歩き ひとりで地に立ってこそ 共に歩めるものだ

草木 花と同じだ
横の枝に蔓を巻くものもいるが 頼られた方も 頼る方も
そんなことはおかまいなしに自ら育ち 花を咲かせる
何も言わずにも アスファルトを破り はみだしてくる

その強さでもなく 正しさでもない ありのままを
あるがままを受け止めた姿で ひとり芽吹いたのだろう

どうりで まっすぐな道も まっすぐな川も どこにも存在しないわけだ

はみださずに歩くとは いったいどこの誰が 一度でも可能にしたことはあるのだろうか

つまりは 列に並んだものたちは 各々が
まさか自分は列になど並んでいないと 思い込んでいるだろう

そんなことを伝えたのなら 皆 顔を火照らせ怒るだろう
その 怒るからこそ つまりは自身の正義を持ってはいないのだろう

起きた事件や 誰かの出来事に 賛否批評をうならせて
そういう者たちの恐ろしいところは 仕事 住居 相手など
環境が変われば 言うことも 視点も 心も 優しささえも変わってしまうところだ

そんなことを思いながら また日が暮れ夜になり 夜明けがくる

ずいぶんしばらく歩いて行くと 同じ様にひとり 歩く
尊い人に出逢えた

笑いかけられ 笑いかけて 笑い合って 笑みの咲く道となった

そしてはじめて 感謝を覚えた

この歓びや この美しき尊さを 歌にして
この道を歩む讃歌としよう

見上げれば 満天の星が宇宙にはためいて
夕暮れに 夜の寓話に まるでまぼろしを見ていたとも思える

長いようで短いようで なんの意味があるともしれない ひとり歩いた道

これもまた 本当の出来事か はたまたそうではない夜に耽った想い出か
それもまた どちらでもよいが

そう思うと 列にいることも どんな正義というものも 皆それも
それぞれのあるがままなのかもしれないとも思えてきた

人は なにものかにならねば 顔も持てぬものなのかもしれない

その者たちと同様に わたしもまた こうして考えては 口をこぼしてしまうのだから
そういうものと たいして かわりはないのだ

なにものでもない この道
なにものでもないが わたしだ

そして わたしは 共に歩む者
こうして共に歩める人に出逢う 感謝を知ったいまでは

そうだなぁ たしかにわたしは はみだしていたのかもしれないなぁ

目の前には 大きな太陽が輝いている

共に あの陽を仰ぎ この道を行くとしよう

20110603 22:07


目次