
今思うとそんな時期があった。
毎日毎晩、電話が鳴り。毎日毎晩、インターネットでも会話。
それらの回線は24時間を越えて、いつも繋いでいた。
誰かの愚痴を聞き、誰かの悩みや相談のような言葉を延々聞く。
それでいいのだと思っていた。
解決の言葉も消えて。
そこには解決はないことに気がつき始めて来た頃。
しかし間違っていた。
そういう誰もが、そんなに解決など、本当は求めていないのだ。
ただ不満なのだ。
ただ承認がほしくて、延々と言葉を繋げたいのだ。
ただ鏡を必要としているだけなのだと思った。
鏡の役。
疲れきっていた。
でもわかっていたこともある。
それらをいつのまにか自分も必要としていたこと。
必要とされる自分。
鏡の鏡。
それも大事だと思っていた。
「つながる」
いつから人は孤独という言葉を編み出したのだろう。
なぜこれほどまでにわからなく。わかりたいのだろう。
足りないものをわかりたいのか。
足りるものをわかりたいのか。
なにとつながれば孤独は全体になれるのだろう。
ある夜。
停電の夜。
一瞬にして、小さな部屋の空間は真っ暗になった。
一瞬にして、つながりは途絶えた。
窓から弱い灯りが差し込んでいて、柔らかいきめの細かい闇と灯りに感じて、久しぶりに窓を開けた。
途絶えたつながりが心地よかった。
夜空を見て、静寂にひとり。
孤独に満たされていた。
ゆるやかな時間が肌に触れるように息づいているのを感じた。
また夜空を見て。
気がついた。
ツナガッテいた。
遥か遥か遠い星も、はるかはるか遠く古代から。
遠く眠る君も、胸の内に棲むように同じく感じた。
はるかはるか同じくして未来の自分も。
いまは、ここにいることも。
よかった。
それ以来、電話もネットも必要以上には繋がなくなった。
途絶えたからきっと、ツナガッタのだと思う。
人が作るものは、すべて元からこの宇宙にあるものの複製で、
いまはまだ無理矢理に形を成して繋げていくのだろう。
そのうちつくりだせるだろう。
この空間に流れる息吹にツナガル神経を。
もともと、ツナガッテいるのだから。
20130714 18:03
